宗教と科学とユダヤ人とアリストテレス、抑えとくべき文化、21世紀日本は文化勝利する。

昨日、4時間もかけて無駄に話したお話し。

 

結論。

「ユダヤ人は差別されたからユダヤ教を作った」

→ユダヤ人は被差別部落であり、当時掲げていた神が誰も助けてくれなかったため、カウンターパート的に作られた神ではないかという話。

ユダヤ教はユダヤ人のための宗教のあるあたりがその根拠の一つ。ユダヤ教を信じていたから差別されたのではなく、あらゆる世界に存在する社会の不満をそらすための差別層として造られた層をユダヤと呼び、それらが誰も俺らのことを救ってくれる神なんていない→神を作ろうと至ったのではないかという考え。

また、非常に排他的に他を否定するのは、苛められる→お前らが間違っている→さらに苛められるのループに入って、こじらせているから。

奈良に天理教というのがあるが、部落を元に出発した。あれと一緒。

 

「アリストテレスは世界で初めて、科学的要素を作り出した。超重要人物」

→アリストテレスはこの世の中に唯一の解があるのではないかと定義した最初の人。

多神教的な様々なルールによって世界が構成されているのではなく、哲学論法により唯一解があるのではないかと考えた。その為、現在でもアリストテレスは研究する価値がある。恐らくユダヤ教的要素(絶対神)を知っており、そこから発達したのではないかと推測する。

 

「聖パウロも超重要人物」

本来のキリスト教は、原典主義になったユダヤ教に対するカウンターであり、あくまでユダヤ人のものであったが、聖パウロが多民族に広めた。そのため世界に広がった。やバス。

 

「日本は多神教に見せた一神教」

理由→神社を参るとき、どこの神を祭っているのか実は誰も気にしていない。

一方で、神社の参る方法が実はどこも共通であり、何かある恐れ多いものを祭る宗教である。

ただし、一神教なくせになぜ統治法的な戒律がないかというと、「単一民族であり、意思の疎通・統治が非常に楽であった」から。定義する必要すらなかったという考え。

 

「中国とインドには宗教はない。」

理由→あれは宗教の顔を被った統治論である。ヒンズー教は、宗教の重要な構成要素である神と自分との対比を持ち合わせていない。もろにどうしろ、ああしろという生き方の作法に触れてくる一方(統治論・道徳論)で、真とはないか、善とは何かというような単一解への追及が一切ない。

中国の儒教は言わずもがな、人と徳であり、そこに人と絶対なる何かの比較(通常は自然)がない。要するに真への追及がない。

インド・中国は人口過密地帯であり、自然との競争よりも人とどう付き合うかという統治論が発達した。一方、非食糧生産地であるヨーロッパでは、自分と絶対なる何か(通常、自然)をとらえることこそが非常に重要であった。

インドと中国は混沌とした人間性の渦こそが4000年の歴史における最大の問題であり、だからこそ、楽観的虚無主義とも呼べる仏教を作るブッダが誕生した。(欲を捨てて解脱することを目標とするなんぞ、仏教以外ない。神なんぞ仏教にはいないのだ)。ひそかに欲望の末に神の怒りによって破壊されたソドムは実はインドにはあるのではないかと胡散臭く思っている。

なお、これが中国とインドが科学的進歩が遅れた理由であり、科学が発達しなかった理由であり、いまだに中国とインドで実学的な学部以外が全然進まない理由でもある。

一神教(絶対なる法則)が存在しなかったため、そもそも絶対なる真理への到達という発想がない。

科学が、ヨーロッパ・アラブ地域(人少ない・一神教)→日本→中国・インドという順で科学が広まっていったのではないかという予想もここからくる。

なお、アラブのイスラム教は、世界でも最も土地が肥えていない地域の一つであるため、財産をトップが抑え、分配する制度が発達した。(部族経済、アラファト議長の遺産がすごいことに)その為、いまだに王政が存在しえる地域となった。また、もっとも厳密な原理主義であるイスラムへと発展した。(元はあれもキリスト教の分派)

アラブはイスラム教の地域として抑えるのではなく、部族主義な世界として重要。コーランの中にはマホメットが部族に対して非常に苦労してた話がたくさんうかがえる。

 

文化として抑えとくべき重要な地域。

ヨーロッパ(一神教・統治論)、アラブ(一神教・部族主義によりパワー的統治・厳しい)、中国及びインド(統治論超重視)、日本(一神教のくせに統治論がない・空気という謎なもの)。

 

気になるのはなぜアメリカ大陸やオーストラリアでは科学が発展しなかったのか?

アフリカって全然文化が分からん。

 

21世紀日本が文化勝利する理由は下記。

現在、コンサルティングファームがデザインファームを購入するようにデザインが重要性が増している。

現在のデザインは一言でいうとSimpleである。しかしながら、シンプルの次はシンプルさの中の複雑性の美しさである。日本はこの世界で圧倒的に強い。

そもそも、次の20年、DeepLearningの発達により、人間が行わなければならない業務は大幅に減少する。その中で価値として残るのは好きや嫌いといったものである。

既に金融の世界では投資先の不足=社会としての物理的需要が失われつつあり、それはマイナス金利などの形となって表れている。一言でいうと新規の物理的需要が失われつつある。時代をたてばたつほど、生産性は必ず上がっていくから、そうなると物理的な製品の価格は必ず下がっていく。

なぜデザインに注目がいっているかというと、需要>供給 の時代(マス商品の時代)、需要=供給(高品質製品の時代)、供給>需要(美しさの時代)になっているからだ。とりあえず必要→どうせならいいもの→どれでも一緒だからきれいなもの

という流れ。

日本の文化的エネルギーの高さは顕著であり、ハリウッドのシンプルな面白さと比べると、古来から浮世絵(印象主義)、現在ではアニメ、ゲームなどの形なので、単純性の中の複雑性での良さが際立っている。こういう風になった理由は、日本が非常に同一性の高い民族であったため、その中での細やかな差に注目されたからである。(ゲームで最近勝てないのは、根本的な面白さの質で負けているからだと自分は思う。ゲームの面白さはコミュニケーションな時代なんだよ!)

同様に文化大国であるフランスで日本のアニメが流行っているのはそういうところがあるからだろう。なお、京都とパリは性格の悪さも含めてそっくりであるという諸説がある。

これらは、絵画だけではなく小説でも表れている。アメリカ文学(トムソーヤ)と比較すると分かりやすく、日本文化は非常に細かいところに美しさを見出す。

 

まとめると、IoT社会の到来によって物理的なモノの価格は安くなり、人は物理的な豊かさに、より価値を見出さなくなる。そのため、娯楽芸術に価値を見出すようになっていくが、アメリカのシンプルな美しさに対して人は慣れていき、そのうち日本の細やかな美意識の方を高く評価するだろう。

日本人大勝利。

一月八日

「培地で少し冷やしてから、おもむろに撒くんですわ」 先生はそう言うと、培地につけたコンラージを器用になすっていく。学生時分ボート部であった先生の手は大きく、少々の細かな所作ではゆるがない。見事なものである。 私は自分に任された数個の培地を試みた。 「こんなことも昔は学生実習でやってましたが、培地をつぶしてしまう学生が結構いましてね」 私はどうやら培地は潰さずに済んだが、たかが数個に随分手間取った。アルコールに漬けてあるコンラージを火で軽く炙るのだが、その熱で大腸菌を死なせやしないかと心配でならない。
ふと隣の教室が騒がしいから見てみると、代謝生化学の試験結果を公表しているのだった。ガッツポーズを取る者、胸を撫で下ろす者、肩を落とす者、三様の有様を呈している。今年の代謝生化学はどうやら難しかった。随分再試験を受けるらしい。あるいは先生を、なんらかの振る舞いで怒らしたのかも知れない。
私は部屋に引っ込むと、帰りの支度を始めた。うわあ、きゃあという感嘆が聞こえてくる。 「私はこれから、日本語学校に行くんだ」と、マレーシアから来た人が僕に言った。 「7時から夜遅くまで」 それは大変だ、ハードワークだと言うと、 「to survive」と笑いながら言った。

高千穂行

3月の高千穂は雲に覆われつつあった。 午前中に韓国岳に登って、午後から高千穂に登ろうというのは無謀であった。 天気予報は宮崎の雨を告げている。
這々の態で帰ってきた私をビジターセンターのおばさんは優しく迎えてくれた。 「いよいよ雲が出て来ましたから、どうかと思っていたんですよ」 見れば、さっきまで私がいた御鉢のあたりは完全に灰色の雲の中である。 とりあえず御鉢までは登ってみたが、風が強いのと、ガスに巻かれるようだったので、一目散に逃げ帰ったのだ。もはや山の天辺あたりは、ちょっとの視界も無いだろう。
2011年の新燃岳の噴火によって砂礫が斜面に堆積し、ずいぶん登りにくくなったということだ。たしかに高千穂の斜面は、こまかな軽石で敷き詰められてずるずると滑りはなはだ登りにくかった。 私は雨の降り始めた高千穂河原から退散し、風呂に入って寝た。

平日

「君はもっと人生を楽しんだ方がいいんじゃないかな」 彼は蛇のように手をくねらせると、こちらを見ないで軽やかに踊る。 「一人でいてもいいことは無い」 彼の忠告はもっともだった。一人でいてもいいことは何も無い。 「努力をしなくてはいけないよ」
池の傍の木は北アメリカから来たと書いてあった。 寒い中葉を落としているが、随分立派なものだと思った。

冬の朝

なにか不思議な声が聞こえると思ったら比叡山からの托鉢であった。 雲母坂から来た彼らが坂道を下るのが見える。 「おー、おー」と呼ばわりながら、黒い衣の僧が数人行き過ぎてゆく。角の地蔵を過ぎて早くも見えなくなった。 角の地蔵には毎朝線香があげられている。熱心なおばあさんが祈りをささげている。花もいつも新しい。 私は部屋に戻ると洗顔のために蛇口をひねる。水が凍結せぬように、毎夜少しは栓を開けている。傍らのオリーブオイルが黄色く凝固している。今朝も随分冷え込んだ。 陽が昇り、町は少しずつ動き出していく。

奈良とテレビ

うどんの起源は奈良にありとテレビが言っているので見てみるときしめんのようなうどんなのである。 奈良の起源は多い。 茶礼の祖、村田珠光は奈良の出とも言う。 そうめんは三輪素麺が初めというし、 清酒の初めは正暦寺である。 相撲は穴師の相撲神社が起源とも言うし、 お菓子は高天の交差点そばの漢国神社とも言う。 空海が持ち帰った製筆の技術を初めてよくしたのも奈良と言う。
サンマリノ。テレビは奈良の話題を過ぎてサンマリノ。サンマリノの住居を映している。 「それは不便なところもありますが、美しいでしょう」 壊れた部分は新しく、古い壁を住居に使っているのだ。 「伝統は壊してしまうと、戻りませんからね」 父いわく奈良の旧市街には戦後になっても土塀がいまだに残っていたがことごとく破壊された。 いまに残るのは二月堂の裏と高畑くらいなものだ。 庭から木簡や竹簡が出る。ばれたら面倒だから叩き割って薪にする。 畑からかめ棺が出る。ばれたら面倒だから叩き割って野山に捨てる。 そして「奈良には何もあれへんから」と自嘲気味に言う。悲しい。
はくたくうどん健やかなれ。

大和郡山

昔浦上のキリシタンが浦上から追放されて各地に流されたが、その一群は大和郡山に配流になったと言う。 しまいに大人は天川の銅鉱山にやられ、子供は奈良大仏そばに送られた。 目立った拷問はなかったそうだが扱いは良くもなく、しかし大勢棄教せずに再び浦上の地を踏んだ。
そんな話を読んだ。