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押熊と琵琶湖
高槻行
白山行
うるわしい白山。 黒ボコ岩という巨岩を越えたら、弥陀が原に入った。 高原には一面のササ、それからハクサンフウロ、ところどころに島のごとくナナカマドが生えていて、それが真っ赤に染まっていて目に鮮やかだ。 空青く風も吹くけど音はしない。静かな高原。木道を歩く自分の足音だけ聞こえる。空気は澄んでいる。少し冷える。 室堂はたいへんな賑わい。しかしそれでも静かで落ち着いているのは分からない。室堂からまた木道を頂上目指して歩く。高度はますます上がる。 高天ヶ原を過ぎて頂上に至ると、頂上付近は草木はなくて岩ばかりだ。四方が良く見える。雲はずっと下だ。みんな頂上の看板、石柱だけれども、看板でにこにこと写真を撮っている。青い空が近くて実に爽快だ。
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コメント丸写し
自分は、結構もっともな意見だと思いますね。
まず、堀江さんが述べているように学校教育の原点は国民に国家という概念を洗脳(啓蒙)し意思を統一することです。
その為に、学校教育には絶対に「社会と同調し従属しろ」という属性(共調性の教育)が含まれています。
これは当然のことで、基本的にヨーロッパは多民族多言語な地域であり、
利害対立が山ほどあって「船頭多くして船山に登る」がデフォルトであり、
誰もが納得できる定説を教えることによって意思の統一(共調)をする必要があったからです。
一方、日本国民1億数千万人のうち99%が同言語単一民族の日本民族である日本は
意思の疎通が非常に簡単であるので、この手の意思疎通の難しさに関する話は全然話にあがりませんでした。
(以心伝心、空気とかいう摩訶不思議概念を定義している単語があるのは日本だけです。)
要するに意思の統一という世界中で苦労している問題に対して日本は絶対的なアドバンテージがあったわけです。
これが何をするかが決まっていた時代に世界と比べて日本が圧倒的に速く経済成長が出来た大きな理由でもあります。(もっと言えば日本が外交下手な理由でもあります。)
しかしながら、牧野さんが言うとおり時代は変わり「定められたステップに従って、拡大し続ける大量の仕事をこなす」時代は終わり、
「新たな打開策を個々の社員が求められる時代」になりました。
その為、学校教育制度そのものの絶対条件であった「社会と同調し従属しろ」という考えが陳腐化し、「現在の制度に対して疑え」が需要として高くなっています。
そもそも教育論を述べるときにこの中で誰も触れていないのですが、
ホームスクーリング(自宅での学習制度)が出てこないこと自体が、
日本人が学習内容そのものだけではなく、学校に通うことによる共調心の育成に強い価値観を見出している象徴です。
(当然すぎて気づかないレベルで当たり前に思っています)
占部さんが面白い疑問を出しているので自分なりに答えを書いてみます。
●社会の一部でしかない「起業家」なるものに国の教育システムを最適化させるべきなのか?
→必要だと思います。理由はITや金融工学といったイノベーションが起こっていた分野は極めてその生産性が高く、国家の経済に大きな影響を与え、
結果として国民全体を豊かにしていたからです。(イノベーションが起きている分野の社員の給料が非常に良いですよね。儲かるから高い給料が出せます)
●そもそも「起業家」なるものは「教育」で育てるものなのか?
→近年の企業の多くはテクノロジーが絡んでいるものが非常に多く、高度な教育を受けているかが、非常に重要な争点です。
その為、国家が特定の天才に対して「教育」を施すことは「起業家」に大きな影響を与えます。
●ここで定義される「サラリーマン」の姿が多いとして一握りの「起業家」がいれば世の中が変わるのか?
→「起業家」なるものに国の教育システムを最適化させるべきなのか?と同じ理由です。
●今、成功してる起業家は皆、そういう教育を受けて育ったのではないか?
→ご存じのとおり、起業家の多くがハイエンドな教育を受けている人が多くなっています。いわゆる普通の教育だけを受けた人は稀ではないでしょうか。
●仮に今がイケてないとして具体的にどういう教育をしろということなのか?
→G型L型に分けて勉強するのが需要と供給に対してはマッチしていると思います。
全ての子供に可能性を信じるのがベストであるというのが建前としては正しいと思いますが、現実論としてあっていません。
もはや、社会に影響を与えるような大きな起業はテクノロジーを絡んでしか起きていなく、学歴で大成功するかがある程度決まっているからです。(アフリカとか発展途上国に行くなら知りません。)
長い。。。